ただ漠然とした不安
こんちは。暇じゃないけど書きます。というか、こういうものは暇じゃない時のが捗りますね、テスト期間の家掃除理論です。
現在、コロナウイルスの影響で様々な活動が自粛されて、人生が設計通りに進んでいないって人も多いかと思います。ちなみに僕のこの場合の「人生」はむこう4.5年の事しか考えてません。だけど老衰で死にたいですね?
控えめに言って僕の大学生活は思い通りすぎるくらいに進んでいます。ちょっと語弊がありそう、このキャンパスライフを描いていたかって言われると違うけど、なんかめちゃくちゃ濃密で緻密な2年を勝手に過ごしてました。
「だから人生もなんとかなるんやろなぁ」
というイージーモード文科大学に染まりきった自分を勝手に持ち上げていたような気がします。
就活もする気でした。ただ、学歴だけ見れば圧倒的に不足しているとこしか受ける予定はありませんでしたね。僕は社会科学が苦手ですが、来年の就職が経済難で大変だってことくらいは分かってます。柱の一本でも奪われた気分です。
「通れば就職、駄目なら院進」みたいなスタンスだったので、二本あった道が一本道であると、ようやく現実を見たって解釈してもいいんでしょうね。
ところがどっこいって話です。当たり前なんですけど、教育実習の申請を母校にしたら「現状が現状だから確定はできない」って言われて、「あれれ? やばくね?」ってなりました。
普段は「不確定要素こそが社会で、宗教はその救済でしかない(上手く言えない)」とか考えていたのに、いざ教育実習が確定できないと、キッツいと思うそうです。ちなみに母校を責める気はありません。在学時は大嫌いでしたが、むしろ大好きです。
話が逸れました。教育実習行けない(かも)ってことは、教職が降りません。教職が降りなきゃ、チキンの僕に院進なんてできっこありません。
恐らくですが、この大学で「5年生」をやるのではってルートも有り得ます。僕の就職までに、中小企業が生きてりゃ話は変わるかもですけど。
何が言いたいかって、「こんなはずじゃなかった」ってだけです。みんなもそうなの? なんだか寂しい(オレンジ)(とらドラを見ろ)(酸っぱくて泣いた)。
とか言いつつも、この状況を楽しんでる自分もいます。ぶっ壊された設計を作り直すのをどっかでワクワクしている感じです、ピンチになると笑っちゃうのが昔から悪癖でした。
友人と「将来どうする?どうする??」とか話してるのも、実はどっかで楽しんでいます。
話がめちゃくちゃ変わりますが、こういう「答えのない現状」にこそ、人文学は役に立ちます。間接的な豊かさがここにあるはずです。今だって歴史を紐解けば分かることが沢山ある気がしてます。断言を避けるのは、僕が大した勉強してないからです。
文科省が「生きる力」とか指導要領に記載してましたが、こういう時に必要なんでしょうね。
ついでに、コロナのおかげで現実の直視もできました。ムーミン谷大学でもう一年くらい夢見たかった気もしますけど。
そんなわけで、色々不安だらけですが、とりあえず杉田のハレ晴レ不ユカイでも見て笑っておきたいと思います。ハルヒ見ろ、けいおん見ろ、CLANNADは人生、fateは文学、バカテスは青春。
ほな、また。