ド田舎文藝部の暇潰し

都留文で人文

体重という敵について

こんちは。卒論の発表を終えた山下です。卒業までは飯の相手を探してるので、誰でも誘ってください。

 

や、都留の生活もあと1ヶ月ですね。なんか感慨深いものがありますね。でも暑いし寒いし富士急が高いから都留には二度と住みたくない。

まあ、都留の振り返りはまたいつかにします。

 

僕が最近考えてること、それは体重です。

え、なぜ考えるようになったかって?

さっきカレーを3杯食べて後悔したからです。

好きな物を3杯食って幸せじゃ〜〜ん」みたいな思考回路してたはずなのに、

それと同時に「やっべ、3杯食っちまった」と思ってしまうようになったのです。

そう、食べるの大好き山下くんですが、いつの間にか体重のコペルニクス的転回が発生していたことに、ついさっき気づいたのです。だから今回は体重の話をします。

 

ハッキリ言いますが僕は生まれて22年間、体重を気にしたことがありませんでした。

小学時代は太ってましたが、身長の伸びで勝手に痩せました。中学はサッカーやってたので太りませんでした。高校はラーメンばっか食ってたけど、なぜか太りませんでした。

そして大学、スタバで毎日フラペチーノを飲んでましたが、それ以上にめちゃくちゃ忙しかったのでなんか痩せました。

この世の1/3くらいを煽る発言ですが、別に「そんなもん」を気にする必要が無かったんですね。

 

こんな訳で、僕は平均値を常に進む一般人として生きてたわけです。

 

そんな僕に転機が訪れたのは教育実習のこと。

実家で親の美味い飯を3食いただく生活をしていたら、5キロくらい太りました

 

よく体重計乗って悲鳴あげるやつあるじゃないですか、アホくさと思ってたんですが、ついにあれを地でやりました。

2、3キロのブレは今までありましたが、さすがに5キロは驚きます。四捨五入したら10キロです。つまり10キロも太ったわけですね(?)

 

元々食生活には気を使ってた人間なので、都留に帰れば一応もとに戻りました。そこそこ運動したけど。

ということもあり、僕は体重については「自己管理」の一環だと思ってます。でも太るもんは太ります。そこそこの給料もらって、そこそこ美味い飯とビールを入れるようになる社会人が太らないわけないですよね。

 

で、ここで2つの考えが生まれました。

 

「どうせ太るんだから、せめて今は痩せとこう」(保守)

 

「どうせ太るんだから3月に買うスーツを長持ちさせるためにも太っとこう」(リベラル)

 

これは悩みどこっすね。「社会人でも今の体重を維持する」という選択肢が無いのかってツッコミは要りません。僕は長谷部誠の「心を整える」で、「常に最悪を想定する」という心構えをしてるので、とりあえず太ります。

 

これについてですが、今も結論が出ていません。

ちなみに「マスコミ・インターネットのダイエット情報等から、太るのは悪であると社会が印象づけられている」みたいな都留文科大学地域社会学みたいな言説を振り回すこともできるんですが、現実はただ太る僕が残るだけなのでやめます。

 

そんなこんなで、僕の目下の課題は体重です。「やっべー、食いすぎた」って思えるようになった悲しさを抱えながら、僕はきっと「オッサン」になっていくのでしょう。

 

そんなわけで、ビールたくさん飲んでも腹が引っ込む方法を募集します。あ、「ビールを控える」はナシの方向でお願いします。入社して数年で10キロ太った上司に「有望株」とか言われて僕は怯えているのです。

 

そんな感じで、今回はこんな感じです。みなさんは美味しいものを何も考えず美味しく食べられますように。

 

質問とか要望とかは以下へどうぞ

https://peing.net/ja/exam007

 

それではまた会いましょう。

【物語版】卒論奮闘記録(前編)

 どうも僕には相容れないものがある。

 それは人であったり、数学だったり、セロリだったりと、時と場合によって変化するのだが、今回は一つの熟語を指す。

 それは「計画性」だ。彼との付き合い方だけは、今もなお分からない。

 長い人生を振り返ってみても、計画を立てて行動したことが果たしてあっただろうか。夏休みの宿題は配られたその日か最終日にやるものだし、締切前日のレポートは酒の勢いで書くものだ。計画性で僕が誇れるのは、十月十日で母親の腹から出てきたことくらいしかない。

 

 そんな人間のため、今後も「計画性」と付き合うつもりは断じてないつもりだった。しかし、得てして出会いというものは唐突なものである。

 7月の夕暮れ、5限のゼミでその時はやってくる。どうやら、「卒論題目」の提出をしなければならないらしい。

 「これはマズい」、僕は肌で感じた。この「題目」とやらを見る限り、公的文書としか思えない。自分の名前だけでなく、指導教員の名前が必要なことがそれを物語っている。

「変更は1回きりだよー」

 重要な場面に反して、指導教員の呑気な声が飛んでくる。尊厳のために釈明しておくが、僕の指導教員は元々呑気な声である。

 

 さて、困ったものである。ここで題目を提出すれば、卒論は一つの方向を目指し始める。100%の力で「もうやりきるしかないさ」という状況が生まれるのだ。

 計画性が無い僕にとってはこれが苦痛だ。8月から12月まで、同じことを努力し続けるしかない。そもそも資料すら揃っていないのに、どう卒論を書けというだろう。

 生まれた時から崖っぷち。こうして僕と卒論と死闘は幕を開けた。

 

 伝え忘れたが、僕は歴史ゼミに所属している。地域社会学科という、ローカルなのかソーシャルなのかよく分からない学科の中では、珍しく人文学をやるゼミだ。なので、学科の中でも少々浮いていたりする。

 そんな歴史学の論文に必須なものが、歴史的史料だ。これが無ければ話にならない。

 歴史的史料とは何か、という問題だが、ものすごく簡単に言えば過去の遺物である。自分の書きたい論文のテーマに沿った史料を集めることから、歴史学の論文は始まる。これが無いと、「ぼくのかんがえたさいきょうのれきし」という妄想記事になってしまう。

 僕は「明治十年代のコレラ流行における国家と民衆」という題目で提出したため、「明治十年代」の「コレラ」に関わる、「国家」と「民衆」の史料を集める必要がある。ここまで範囲が狭くて見つかるのか、とお思いの人もいるだろうが、明治国家の文書くらいなら多くが活字化されているため、簡単に見つかったりする。

 問題は民衆の文書である。そもそもこの時代には、文字を書くことができる民衆が少ないため、文書の絶対数は嫌でも減ってしまう。

 

 ではどうやって見つけるのか? 先に結論を言うと、「気合い」である。

 根性だとか、気合いだとか、そういったものは昭和運動部の観念だと思っていないだろうか。理知的で崇高なアカデミズムの世界は、存外にも気合いで成立している。素振りの数だけ打率が上がるのと一緒で、読んだ論文の数だけ論文は論理的になる。

 僕は目的の史料を探し当てるため、図書館のありとある「コレラ」にまつわる本を探した。10kgはある本を担いで家に帰るその姿は、もはや運動部と遜色ない。まさに卒論筋トレである。

 

 図書館と自宅を何往復しただろうか。1ヶ月かかったこの努力は裏切らない。どうにか目的の文書を見つけることができた。その名は「コレラ騒擾私記」。この文書の全編を探して、解釈を行えば、晴れて僕の論文のゴールが見えてくる。

 かの有名なパンドラの箱は最後に希望が残っていた。ちなみに「コレラ騒擾私記」の最後に残っていたのは絶望である。

 なんと、この文書は個人所蔵だったのだ。つまり書籍として出回っていない。恐らくコピーを含めても、この世界に10とない文書だろう。

 そんな文書を入手することが、卒論の至上命題となった。題目を「明治十年代のコレラ流行における国家」にしておけば、こんな苦労はしなかった。

 後悔の念とともに、文書入手へ向けて動き出したのは、10月も終わる頃のことである。

 

 

たぶんつづく。

質問・感想・お題等は以下にお願いします。

https://peing.net/ja/exam007

教養学部と僕

こんちは。そして、あけおめです。現代人はなんでも省略しますね。なんでって、楽だからです。

 

さて、今回ですが、卒論もほとんど(あくまでほとんどである)書き終えたことなので、教養についてでも語りたいと思います。なんでって、大学を出たらこんなこと二度と語らない気がするからです。あと一応は教養学部だから。

 

さて、僕はこの4年間でろくすっぽ教養を修めた気がしません。前々回の「下ネタと僕」を参照していただければ、僕の頭の成長が小学校3年生から止まっていることが分かるかと思います。以下参照

(https://aoyamasi.hatenablog.com/entry/2021/12/29/221902)

 

なので、以下の文章は特に何の意味も持たないのですが、頭が回ってるこの夜(この記事はいつだかの深夜に執筆した)にせっかくなので書いてみます。深夜になるとラブレターの筆が進むのと同じ理論ですね、知らんけど。

 

さて、問題(デデン)。「教養」ってなんですか。

まずは、ネットでひいた適当な辞書の意味を見ましょう。

 

「人間の精神を豊かにし、高等円満な人格を養い育てていく努力、およびその成果をさす」

 

よく分からん。小3には伝わらん。「精神が豊か」で「高等円満な人格」を「育てる努力」なら、小学生の当時好きだったSちゃんとねんごろな関係を目指した僕の過程も、教養の定義に入るのでは?

でもこういう教養哲学をやってる人って、カント信者が多そうだから(超が付くほどのド偏見)、色欲は定義外にしてそう。

 

よく分からなかったので、続きを読みます。

 

「とかく専門的な知識や特定の職業に限定されやすいわれわれの精神を、広く学問、芸術、宗教などに接して全面的に発達させ、全体的、調和的人間になることが教養人の理想である」

 

おお、これはちょっとしっくりくる。要はい「いろんなことを知ってる人」ですね。どうやら僕が「教養」だと思っていたものは、「教養人の理想」だったらしい。それなら弊学も「教養人学部」にすべきです。きっと無理にリベラルアーツみたいな横文字を使うからゴールを見失うんですよ。

 

こほん。このブログでは、当初のゴールを変更し、教養人について語ることにします。

じゃあ教養人である意義ってなんだって話です。僕の想像の範疇では、ここで5つの人種が出てきます。挙げてきます。

 

1.「人のためにこそ教養は必要なんだ!!」という外発的タイプ

2.「自分の心を豊かにするためにこそ必要なんだ!!」という内発的タイプ

3.「そもそも教養の意義を考えること自体に意義が無いんだ!!」という社学にいそうなタイプ

4.「自分のためにも教養は必要だ!!」というデューイっぽいタイプ

5.「教養はいらねえ!!」というバーサーカータイプ

 

適当に解説してきます。まずは1ですけど、これは意義を外側に向けたイメージです。具体的に言っちゃえば、「誰かを傷つけないための教養」です。

「何気ない一言が○○を傷つけた」みたいなセリフありますけど、それです。最近はめちゃくちゃ敏感になったセクハラとかがガッツリこれに該当すると思っています。

要は自分の知識・教養から想像力を広げて、相手を思いやるってやつですね。

 

次に2ですけど、これは分かりやすい気がします。要は「心を豊かにする過程」です。読書・美術鑑賞・学術研究・Sちゃんとの恋愛など、自分の心を満たすやつですね。

 

そして3です。んー、これは、僕の想像をやや超えてます。イメージ的には2のプロトタイプかな。「そもそも教養に意義を求めるな!」的な感じです。

なぜかって教養は振りかざすものじゃないし、教養について内発的意義を考えた時点で、それそのものが目的になるから、教養おいて重要である過程というものを無視してしまうことになるのでは? みたいな??(伝われ)

定義からひっくり返すのは社学の特技です(褒め言葉のつもり)。これもそれに近いものを感じます。

 

そして4です。これは簡単で、「役に立つから」

です。これを知ってると健康になるとか、これを知ってるとお金を儲けやすいとか、それ。功利主義的なやつです。知識は有用だから知識であるって感じですね。

 

で、5ですね。はっきり言ってこれ自体を否定することが、どうしても僕にはできません。大学から除籍くらいそう。

知識って世界を際限なく広げてくれるんですけど、同時に不自由も増えるんですよね。お笑いに例えるのが一番楽ですけど、30年前の芸は今のコンプラじゃ絶対できません。

要は知らない方が幸せなこともあるって話です(ここにおいて公共性は度外視してます、念の為)。

まあ、なので、5は自由ってより無秩序のが近いですね。ただそれはそれとして、個人主義が強い現代で、個人の最大幸福を求めることは何が悪いって言葉に対しての反論は、公共性とか人間がポリス的動物だってことくらいしか思いつきません。だから僕は完全に否定できないンゴね。。

 

これが僕の考えるタイプ別診断です。他に自分の教養をカスタマイズしてる人がいたら教えて欲しい、めちゃくちゃ気になる。

 

ちなみに僕は大学で生き生きしてた人間なので、教養は持つべき派の人間です。強いて言うなら、2の思想が強めかな。

 

やや話は変わるんですけど、勉強してる大学生が正月あたりによく「実家帰ったら親族と口論になって、さらに無教養(ここ婉曲的に表現してる)で驚いた。早く大学に戻ってちゃんとした議論をしたい。」みたいな言葉を見かけます。

大学生あるあるだと思うんですけど、無意識下に自分を上に立ててる場面があるんですよね。知らない人に対して、学んだことを振りかざそうとしてる感じ。歴史分野で僕もよくやるけど(小声)。

結局はここの壁があるんだよなぁって感じます。大学は似たような人種しか残らないから閉鎖的すぎるんですよ。かといって宣教するには、SNSは無秩序すぎるんですよね(某講師を横目に見ながら)。

 

だいたい脳内は放出できました。これが僕の4年間の一部です。へんたいよくできました。

 

ちなみに教養学部はアリだと思ってます。今の学部レベルで専門性を磨くのって、一部大学を除いて難しいから、いっそ様々な知識を学ぶのに徹した方がいいのではって思います。好奇心強い僕には向いてました。

 

そんな感じで、今回はこんな感じでしんじろう。次は、、うーん、教育実習の続編かな? 知らんけど。

ではでは、ありがとうございました。また会いましょう。

 

 

質問 意見 お題は以下にお願いします。

https://peing.net/ja/exam007

 

夢と教育実習はデカくなければつまらない(前編)

おはこんにちばんは。この挨拶って親指と人差し指と中指を出して「わー、俺の勝ちー」ってやってる小学生のジャンケンみたいですよね。

 

そんなわけで山下です。おはよう。

 

久々にブログを連投してます。今はいい感じのゴキゲンです。箱やSNS等で読者ともっと関われたら楽しいなって最近は思ってます。というか1年以上ほったらかしといても、そこそこ(投稿者は閲覧履歴が見れる)の数読まれてることが驚きです。ありがろん。社会人編もよろしく。

 

久々のブログということで、「自分は昔どんな書き方してたっけ??」と見直してました。

率直に感想を言うと、あいつそこそこ自分のスタイル確立してて羨ましいですね。間違いなく今より文才あるわ。

やはりですね、継続は力なりですよ。1週間に1度のペースで投稿してた僕は凄かったわけですね。

 

そんな感じの最近ですが、今更になってなんで投稿を再開してるのかって話です。

先に結論から述べると(卒論みたい)、ものを書くことが好きだからです。

今の会社の面接でも、

「将来成し遂げたいことはありますか??」

と聞かれて、「直木賞作家になりたいです!」と的外れな回答をしてるような人間です。会社に入りたい意志を伝えろ。

 

つまり死ぬまでに1冊は出したいわけです。2年ほど前に某新人賞に応募して酷評され遠ざかっていましたが、もう少しやってみたいですね。スポーツ漫画とか読んでると僕の努力は努力じゃないって感じします。

ちなみにブログは何の推敲もせずに書いてます。バックスペースとか滅多に使いません。脳ミソを直に発射してます。つまりこのブログは山下の脳ミソ産地直送なわけですね。これはこれで楽しいです。

 

 

そろそろ本題にいきましょう。つか、この時点で本題を決めてません。

うーーーーーーーーん。。。

うーーーーーーーーーーーーーん。。。。。

 

 

楽しかった(楽しかった?)教育実習でも語ります。

 

教育実習は去年の申し込みで決定してました。選考を通してくれた母校に感謝。

 

バイトが店長で、会社が上司で決まるように、教育実習の面白さは担当で決まると思います。人間は矮小なコミュニティから逸脱できない生き物です。

僕は担当教員ガチャに成功しました。元担任が、クラス担当と教科担当を兼ねてくれたのです。ラッキーです。

 

ここで一つ、先輩として後輩へ教訓をあげときます。

 

担当教科は数ヶ月前に確認しろ」です。

 

あれ? 当たり前ですか?? それは僕の阿呆のしからしむるとこだと思います。

 

ちなみに僕は確認を2週間前にしました。阿呆ってか、ただのバカです

僕は日本史が得意だったし、研究も近代史なので、勝手に日本史の担当になると思っていました。そして実習2週間前に電話しました。

 

山下くんには世界史を担当してもらいます

 

……?? んん??

世界史?? 

なんならずっと寝てたし、枕にしてた教科書にはヨダレの跡しかありません。

 

いいですか、恋愛と教育実習での思い込みは厳禁です。

僕は世界史なんて知りません。なんならヨーロッパ中心史観の今の世界史に対して生粋のアンチです。アレって世界のシステムがヨーロッパに形成されたって言ってるようなもんじゃん。

 

ただし僕は優秀(当社比)なので、こんな困難くらい乗り越えます。ジャンプに影響を受けてる人間なので、ここは根性です。とりあえず図書館行って岩波を漁りましょう。

 

図書館「コロナで閉館やで〜〜www」

 

感想は以下の画像参照。

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そんなわけで僕は大した勉強もせずに教育実習を迎えます。ちなみにこれを真似すると地獄をみます。

 

そして迎えた打ち合わせ当日。図書館が閉館して勉強してないことを担任に言い訳します。

ガチインテリの担任にそんな言い訳が通じるわけがないです。不条理。

 

「ドンッッッッッ!!!!!」

 

響くは机に置かれる1キロの物質。

語るは無造作に積まれた教養。

示すは自分への勉強不足。

 

5冊ほどの新書を目の前に置かれて

担任「土日で読めるかな??」

 

心の声「うーん、無理!w」

 

ただ3年歴史を勉強して大学院を目指した矜恃が僕にはあります。ノーとは言いません。新書の5冊くらい土日で読めます。

 

まあ、授業準備が無ければの話なんですけどね。

 

知識を叩き込むのは簡単です。ただ教えるのは別ですね。授業においては専門レベルの知覚→解釈→教授こそが大事です。

 

専門書読んで、理解して、高校生に分かる水準のプリントを作る。これがかなり難しい。僕の土日は全てがこれに消えました。

 

そして迎えた当日。初々しい高校1年生への挨拶です。人は第一印象で百割決まります。ここでキメて人気講師への道を僕は歩みます。

 

緊張しすぎた僕

「僕の名前は、あっ、まずは大学名を、つっつつつる、山下です。〜〜〜(以降聞くに耐えないオタク特有の早口)」

 

突き刺さる冷たい目線。教育実習初日、開始1時間で辞めたくなった僕はどうなるのでしょうか。

 

文字うつの疲れたので次回にします。

 

それではまた会いましょう。

 

感想・お題等をいつものように集めます。どうぞどうぞよろしくお願いします。ほんとに。

https://peing.net/ja/exam007

 

追記:当ブログは担任が読んでる可能性があるので、NGが出たら自動的に消滅します。

 

僕と下ネタ

※本文章はかなりレベルの低い下ネタ要素を多分に含んでいます。山下に対して知的・紳士的イメージを持つ多くの読者はブラウザバックを推奨します。

 

こんにちは(こんにちは)

年末年始で飲酒飲酒の山下です。

 

最近は「年末だからいいだろ」のご意向のもと、金銭を使いたい放題の日々でした。基本的に飲んで食ってただけだけど。

ちなみに年度始めは「就活頑張ってるしいいだろ」、1ヶ月後は「内定もらったしいい」、「テスト期間だし」、「教育実習」、「博物館実習」……、どうやら僕の欲は谷より海溝より深いようです。

 

さて、前回の次回予告で、「都留についての振り返り」などと言った記憶があります。ごめんなさい、次の機会で。

 

じゃあ今回はなんだって、「下ネタ」です。

僕もかつてのイキリ時代を抜けたため、読者も厳選されてきたように勝手に思ってます。なので、多少は変なネタをかましても構わないと感じた次第です。なので今回は下ネタです。誰がなんと言っても下ネタです。とにかく下ネタです。

 

かつて誰かが言いました。

「教養が不足した人間は、会話に下ネタの割合が増える」と。

教養学部の僕はそれを地で行ってる生き物です。無教養学部(小声)。

 

とかなんだとか言いますが、さすがに公共の場での下ネタはノーセンキューです。僕と宅飲みをする数少ない人間こそが、僕の下ネタ癖を知っています。これはこれで切っても切れない縁なんです。

 

誇りうる特殊能力として、僕は宅飲みでアルコールが入るとジョニーの真名を連呼してしまうスキルを持っています。しまいにゃ友達に「困ったら○○○○に逃げる」と指摘されたことすらあります。ジョニーの何が悪いんだ。

 

いざまともなネタを思い返しても思い浮かばない。「陰毛を抜いて鼻に入れる麻生○郎」のようなエキゾチックの極みのようなネタが出てきます。友人間でレジェンドとして扱われている「デリヘルを呼んで学歴を言う○○(某教授名)」というネタも下劣の真骨頂と呼ぶべきでしょう。

 

なぜだ、なぜこうなった。責任者はどこだ。このような無教養人間を社会に放つなど、正気の沙汰じゃない。これでは、下ネタなんぞで会社をクビになりかねない。

 

1年の頃の僕はまだまともだったはずです。友達に聞いたら「そんなことはない」と即否定されてしまうので、一次資料を探します。伝聞よりも資料の方が論文としての正当性があるからです。

 

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画像:1年次、某先輩とのLINE

 

ダメだこりゃ。いくら当時の文藝研究会(サークル名)が自由を謳っていたからといって限度がある。自由と無秩序を履き違えてる人間がこの世には多すぎる。

ちなみにこの画像ですが、僕がお気に入りの動画のリンクを開き、「よっしゃ!やったるで!!」と、リングへ向かう亀田興毅の如く息巻いた刹那、ケータイの上画面に某先輩からの通知が届いた場面でした。イキ場を失った気合を消化しきれず、八つ当たりのように某先輩に「シコろうと思っていた」などと供述した次第です。面白いですね。

 

で、結論をまとめます。なんでかって結論はまとめろって卒論で習ったからです。

来年はこんな人間でありたくないって話で、聖人紳士淑女知的秀才でありたい僕は、人を選ばず人を心を満たす話題を提供したいわけです。

なので今後はお笑い芸人の動画あたりを徹底的に見て、今後の方針を考えたいと思います。とりあえずオススメを集めたい。

 

今回はそんな感じです。

次回は予告しても意味なさそうなのでしないどきます。読者からもらったお題か都留の話か、今回みたいに「僕と……」シリーズの続きでも書きたいと思います。

 

ちなみに応援が届いてました。今後も楽しく読んでください(ちなみにこういうのがかなりモチベになります)

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例のように箱を以下に載せときます。

https://peing.net/ja/exam007

 

ではではありがとうございました。

また会いましょう。

 

 

 

渋谷はちょっと苦手

お久しぶりです(お久しぶりです)

就活、教育実習、博物館実習、卒論とノルマを続々と達成している山下です。あとは介護体験を済ますだけですね!

 

それはそうと何で1年ぶり近いブログの投稿を試みたかって話ですが、それは気分です。僕は基本的に「ゴキゲン」で動く生き物なので、今回もそれに左右されただけの話です。

 

理由もうちょい真面目に語ると社会人になったら、ちまちまとブログを投稿したいからです。ちなみに会社からは許可を得ていません。

 

そもそも、潰れるもんか大学こと都留文科大学の悪口・悪態・ネガキャン等を活動的に行ってきた当ブログが、もしも会社に見つかっていたら内定どころじゃなかったでしょう。1年目から配属先が労組になりそう(小並)

 

会社からの許可はいつか取るとして、それよりもいっそう重要なのが、ブログのタイトルです。

「ド田舎文藝部の暇潰し」を名乗る当ブログですが、都留は「ド田舎」でもなけりゃ、僕は「文藝部」でもありません。合ってるのは僕が「暇」なことくらいです。

そんな訳で、みなさんタイトルのアイデアください。採用された方には、、まあ適当におめでとうって言います。

 

ところで、今回のタイトルは「渋谷はちょっと苦手」となっていますが、渋谷は一切でません。気分的に少しばかり広末涼子をリスペクトしたかっただけです。僕が渋谷を苦手としてるのは事実ですけど。

 

じゃあなんでこんなタイトルかって、これから新宿の話をするからです。名誉都留市民の僕からすりゃあ渋谷と新宿の違いなんて、忠犬ハチ公の有無くらいです。

 

ようやく本題ですが、つい先日に僕は好物の日本酒を求めて友人と新宿へ行きました。こっちじゃ新政も十四代黒龍も飲めないので、貴重な経験です。

そこそこの価格で、普段飲めない日本酒を飲むことができるなんて、新宿は素晴らしい場所です。ありがたいです。ツマミも美味しいです。こんな場所、苦手なわけがないです。

 

で、日本酒をいくらか飲んだところで、僕の記憶はスキップします。具体的に言うと(恐らく)3時間くらい。

このスキップタイムに期待することなど「終電で都留に帰っていること」くらいです。人間の帰巣本能を舐めちゃいけません。今までも泥酔したことはありましたが、気がついたら朝になって家の布団で頭を痛くしているくらいに僕は優秀な酒飲みです。

 

 

で、今回は気がついたらどこにいたかって、歌舞伎町のカラオケ店です。どうやらここがマイホームらしい。

 

 

本当に何も覚えていない。なんなら友人曰く2軒目に行ったとのこと。記憶と財布の中身が派手に飛んだ事実に、もはや笑うしかありません。

 

何よりも衝撃だったのが、左膝と右肘にできていた大きいアザです。どうやら派手に転んだようです。

ですが、想像が全くつかないのは、右脇腹と右ももにできたバカデカいアザです。どうやってこんな器用な場所にアザを作った? 新宿リベンジャーズでもしたんか??

 

その他にも、西新宿で飲んでたはずが、気がついたら東新宿にいたなど、謎が多すぎるのですが、まあいいでしょう。クレカも学生証も抜かれてなかったし。

 

結論は虚無です。始発の極寒新宿駅高尾駅を目指すほどの虚無がこの世にあるでしょうか(反語)。やはり終電に帰ることこそが正義です。

 

 

とまあ今回はここまでなのですが、適当にまとめましょう。「書いたことはまとめる」と、卒論で習ったからです。

まあ、要はこういうことを入社後はこういうことできないし許して欲しいわけです。あと新宿はもう懲り懲りです。

 

 

そんなわけで今回はこんな感じで。次回は、、そうですね、そろそろ都留生活の振り返りでもしようと思います。

 

 

余談ですが、質問・意見・要望・題目を以下に募集します。

https://peing.net/ja/exam007

 

いい加減Googleフォームでも作れ。

 

ではまた会いましょう。次は居酒屋で鳥刺しが食べたいです。

 

 

進捗、ダメです(就活編)

こんちは。

 

とりあえず大学3年生といえば就活だろ

 

くらいの感覚で就活を始めた山下です。

 

なので、下記の文章は全くもって就活のアテになりません。後輩はまともな先輩を見て育ちましょう。

 

さて、僕が就活を始めた理由はほぼ一点に集約されると言っても過言じゃありません。

「自分の大学生活がどれだけ世間に通用するか」

ということです。

 

世の中は、「東京私文入って就活もラクラク」などというテンプレートが存在します。

また逆に(逆?)、「都〇文は就職絶望」とも聞きます。

 

では、僕の(自信に満ち溢れた)大学生活はデカくて強い企業に通用するのかという社会実験のようなものをしようと思ったって感じです。

 

僕はそれなりに勢いで活動してきた人間なので、僕が就活するにあたって足りないものは学歴と海外経験くらいだと思ってました。ちなみに就活して分かったけど、他も全然足りませんでした。

 

まあ愚痴はさておきやってみましょう。

 

とりあえず気合い入れて申し込んだ企業(敬称略)は

大手広告代理店

大手食品メーカー

地方のマスコミ

都留文っぽい新聞会社

って感じです。

 

どの企業も旧帝、早慶、MARCHが跋扈する難関です。申し込んだのは5日間のインターンなので、枠もほとんどありませんし、倍率も果てしないです。

 

先に結果から言えば1勝4敗です。正直10申し込んで1がいいとこだと思っていたので、大健闘ですね。中には1次審査通ったとこもあるので、ある程度の学歴の壁は超えたということでしょう。

 

とりあえずこれくらいしか喋ることないんですが、現時点での感想としては、「よく頑張ったな自分」って感じです。

ちなみに2連続で落ちたひと月前では、「私の何がイケナイの?」というお嬢様よろしく自信に満ち溢れた態度を取っていました。今でも少し思ってます。

 

最近になって思ったのは、就活は何となく麻雀に近い気がしたってことです。(麻雀ガチ勢に謝罪しながら)

 

まず、僕が思う麻雀ってゲームの最大の特徴は、「運と実力の絶妙なバランス」です。

とてつもなく運が良ければ素人でもプロに勝てますが、プロって立場があるくらいに、麻雀は考えることが多く、捨て碑から相手の手を読むなど、運を実力で引き寄せる要素が多く存在します。勝つには実力が必要ですが、運に左右されるゲームですね。

ちなみにこのへんは「遊びの社会学」なる本が参考(参考?)文献となっています。弊学図書館にあるから読んでね。

 

とりあえず夏やって、就活も似たようなもんな気がしました。

とにかく実力を高めてエントリーシートを書きます。あとは人事のアタリを祈るのみです。実際、僕はよく通ったと思います。国士テンパったってことでいいでしょう。麻雀って楽しいよね(魔王並感)

つまり運です実力です。受かれば「俺がすごい」です。落ちれば「学歴が悪い」です。これくらいのメンタリティじゃないと、やってられっかとなります。

 

ついでに何となく語りますが、コロナで僕らの就活は絶望的なのかなどと考えてみましたが、説明会などがわざわざ東京に行くことなくオンラインで開催されたりして、情報格差が縮んだのでむしろアドまでありますね。相手(都会)がこっちの土俵に近づいてくれただけですけど。

そんなこと言いながら、セーフティネットとして僕は頑なに教員免許を取ろうとしてるので、大した説得力はありません。

 

では、また。

と、言いたいとこなんですが、これを投稿するタイミングを見失っている間に(この間で1ヶ月を経る)、2社のインターンが決まってしまいました。詳しく知りたきゃ直接聞いてくれさい。

 

インターンで分かったのは、強いヤツは強いってことです。当たり前だけど。

僕はラッキー枠だなって感じがめちゃくちゃします。まあ、ESの火力が高いのが決めてだったのでしょう。他は明らかにインターンを複数経験してる連中ばかりでしたね。面構えが違う(進撃の巨人1巻参照)。

 

今後どうなるかなんて知ったこっちゃないですが、とりあえず人並みの大学生活を送ると思います。後期もオンラインですし。ちなみに僕は今年は資格科目ばかりで、興味のない講義が多いので、オンライン恩恵組です。ありがとう。

 

ちなみに夏のインターンが終わると、冬のインターンが始まるらしいぜ。就活は都留みたいに秋の概念はありません。

 

では、また。