教養学部と僕
こんちは。そして、あけおめです。現代人はなんでも省略しますね。なんでって、楽だからです。
さて、今回ですが、卒論もほとんど(あくまでほとんどである)書き終えたことなので、教養についてでも語りたいと思います。なんでって、大学を出たらこんなこと二度と語らない気がするからです。あと一応は教養学部だから。
さて、僕はこの4年間でろくすっぽ教養を修めた気がしません。前々回の「下ネタと僕」を参照していただければ、僕の頭の成長が小学校3年生から止まっていることが分かるかと思います。以下参照
(https://aoyamasi.hatenablog.com/entry/2021/12/29/221902)
なので、以下の文章は特に何の意味も持たないのですが、頭が回ってるこの夜(この記事はいつだかの深夜に執筆した)にせっかくなので書いてみます。深夜になるとラブレターの筆が進むのと同じ理論ですね、知らんけど。
さて、問題(デデン)。「教養」ってなんですか。
まずは、ネットでひいた適当な辞書の意味を見ましょう。
「人間の精神を豊かにし、高等円満な人格を養い育てていく努力、およびその成果をさす」
よく分からん。小3には伝わらん。「精神が豊か」で「高等円満な人格」を「育てる努力」なら、小学生の当時好きだったSちゃんとねんごろな関係を目指した僕の過程も、教養の定義に入るのでは?
でもこういう教養哲学をやってる人って、カント信者が多そうだから(超が付くほどのド偏見)、色欲は定義外にしてそう。
よく分からなかったので、続きを読みます。
「とかく専門的な知識や特定の職業に限定されやすいわれわれの精神を、広く学問、芸術、宗教などに接して全面的に発達させ、全体的、調和的人間になることが教養人の理想である」
おお、これはちょっとしっくりくる。要はい「いろんなことを知ってる人」ですね。どうやら僕が「教養」だと思っていたものは、「教養人の理想」だったらしい。それなら弊学も「教養人学部」にすべきです。きっと無理にリベラルアーツみたいな横文字を使うからゴールを見失うんですよ。
こほん。このブログでは、当初のゴールを変更し、教養人について語ることにします。
じゃあ教養人である意義ってなんだって話です。僕の想像の範疇では、ここで5つの人種が出てきます。挙げてきます。
1.「人のためにこそ教養は必要なんだ!!」という外発的タイプ
2.「自分の心を豊かにするためにこそ必要なんだ!!」という内発的タイプ
3.「そもそも教養の意義を考えること自体に意義が無いんだ!!」という社学にいそうなタイプ
4.「自分のためにも教養は必要だ!!」というデューイっぽいタイプ
5.「教養はいらねえ!!」というバーサーカータイプ
適当に解説してきます。まずは1ですけど、これは意義を外側に向けたイメージです。具体的に言っちゃえば、「誰かを傷つけないための教養」です。
「何気ない一言が○○を傷つけた」みたいなセリフありますけど、それです。最近はめちゃくちゃ敏感になったセクハラとかがガッツリこれに該当すると思っています。
要は自分の知識・教養から想像力を広げて、相手を思いやるってやつですね。
次に2ですけど、これは分かりやすい気がします。要は「心を豊かにする過程」です。読書・美術鑑賞・学術研究・Sちゃんとの恋愛など、自分の心を満たすやつですね。
そして3です。んー、これは、僕の想像をやや超えてます。イメージ的には2のプロトタイプかな。「そもそも教養に意義を求めるな!」的な感じです。
なぜかって教養は振りかざすものじゃないし、教養について内発的意義を考えた時点で、それそのものが目的になるから、教養おいて重要である過程というものを無視してしまうことになるのでは? みたいな??(伝われ)
定義からひっくり返すのは社学の特技です(褒め言葉のつもり)。これもそれに近いものを感じます。
そして4です。これは簡単で、「役に立つから」
です。これを知ってると健康になるとか、これを知ってるとお金を儲けやすいとか、それ。功利主義的なやつです。知識は有用だから知識であるって感じですね。
で、5ですね。はっきり言ってこれ自体を否定することが、どうしても僕にはできません。大学から除籍くらいそう。
知識って世界を際限なく広げてくれるんですけど、同時に不自由も増えるんですよね。お笑いに例えるのが一番楽ですけど、30年前の芸は今のコンプラじゃ絶対できません。
要は知らない方が幸せなこともあるって話です(ここにおいて公共性は度外視してます、念の為)。
まあ、なので、5は自由ってより無秩序のが近いですね。ただそれはそれとして、個人主義が強い現代で、個人の最大幸福を求めることは何が悪いって言葉に対しての反論は、公共性とか人間がポリス的動物だってことくらいしか思いつきません。だから僕は完全に否定できないンゴね。。
これが僕の考えるタイプ別診断です。他に自分の教養をカスタマイズしてる人がいたら教えて欲しい、めちゃくちゃ気になる。
ちなみに僕は大学で生き生きしてた人間なので、教養は持つべき派の人間です。強いて言うなら、2の思想が強めかな。
やや話は変わるんですけど、勉強してる大学生が正月あたりによく「実家帰ったら親族と口論になって、さらに無教養(ここ婉曲的に表現してる)で驚いた。早く大学に戻ってちゃんとした議論をしたい。」みたいな言葉を見かけます。
大学生あるあるだと思うんですけど、無意識下に自分を上に立ててる場面があるんですよね。知らない人に対して、学んだことを振りかざそうとしてる感じ。歴史分野で僕もよくやるけど(小声)。
結局はここの壁があるんだよなぁって感じます。大学は似たような人種しか残らないから閉鎖的すぎるんですよ。かといって宣教するには、SNSは無秩序すぎるんですよね(某講師を横目に見ながら)。
だいたい脳内は放出できました。これが僕の4年間の一部です。へんたいよくできました。
ちなみに教養学部はアリだと思ってます。今の学部レベルで専門性を磨くのって、一部大学を除いて難しいから、いっそ様々な知識を学ぶのに徹した方がいいのではって思います。好奇心強い僕には向いてました。
そんな感じで、今回はこんな感じでしんじろう。次は、、うーん、教育実習の続編かな? 知らんけど。
ではでは、ありがとうございました。また会いましょう。
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