ド田舎文藝部の暇潰し

都留文で人文

「行けたら行く」と大学の成績はアテにならない

こんにちは。

 

日曜日の僕はこれからの単位のことを考えて、成績表を見直してました。

 

驚くべき低空飛行を見せるその成績は、見る者の嘲笑を買い、友人へ侮蔑を売ります。

 

そんななか、ふと思ったこと

 

「こんなもんアテにならなくないか?」

 

高校時代といえば、春に出る5段階の数値が自分の大学を決めると鼻息荒くして、定期テストに執心し、先生と仲良くしていた方もいたことでしょう。

僕はその頃から社会不適合者の道へと少しずつ進んでいたので、その頃から成績は下から10番でした。

高校で成績表を見て「素晴らしい成績だ」と感動していたが、5段階評価と勘違いしていて実は10段階評価の成績だったなんてエピソードが存在するくらいです。

 

そんな感じだったため「成績は人生を決める」と思い込んでる輩を嫉妬心から嘲笑するという、妖怪のような人生を現在進行形で歩んでいます。

 

改めて成績表を見てみましょう。

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これは僕の語学の成績表です。

一年次に「英語センター8割」という儚い矜恃を持ち挑んだ大学TOEICで、Aクラスに入ることなど容易いことでした。なかなか虚しい人です。

 

大学に入って「強制的な学問」から逃げられることに感動した僕は、授業の出席を拒否、高校時代に培った「最低限度の力で留年するかしないかの瀬戸際を生きていく」という器用なスキルを最大限発揮して、くぐり抜けました。できなかったけど。

 

一年間の英語を振り返って、一つ思ったことがあります。

「大学なんて自分が何をするかが大事だから、他者と相対化させる成績を気にする必要は無い」ということです。要は開き直りです。

そこから論理的に導かれる結論は、「Aクラなんてクソ喰らえ」ということでした。彼らと同水準の意識で勉強することは僕には不可能です。

 

そして、TOEIC640点を誇る僕の成績は、1/3というおかじまの底値並の割引額という数値へ成り果てました。

 

晴れて底辺に入った僕のEクラスは、一言で言えば「異世界転生」でした。古参オタクは「姫路さん」だと思ってください。

 

関係代名詞を使えば「あのー、俺またなんかやっちゃいました?」という世界。仮定法など禁忌目録のようなものです。(一応、弁解するとコミュニケーション重視なので、文法の正しさなどではなく積極性が買われる講義である)(ついでに言うとこっちの英語授業のが理想に感じた)

 

元からある英語力に、一人旅で培ったコミュニケーション力を遺憾無く発揮、周りのやる気も無いことから僕の最高評価は自明でした。

 

そして見ての通りSでした。後期はスピーチで西尾のお面を被ったり、ミルクボーイの漫才をやったりしたので、下がってるでしょう。

 

このSを見て、思ったことが、「大学の成績などアテにならない」ということです。僕がAクラスを持続していれば、いいとこBだったでしょう。

 

GPAなど楽な授業を取っていればある程度は勝手に上がります。まあ、だからこそいっぱいSとか取ってる人はすごいんでしょう。

 

つまり大学の成績と「行けたら行く」はアテになりません。何かしらを勉強しようという意識のある都留文科大学生の皆さんは頑張っていい成績取って卒業しましょう。

 

それでは、また。