ド田舎文藝部の暇潰し

都留文で人文

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こんにちはこんにちは。山下です。

とりあえず帰省して疲れはとれましたね。まだ疲労感はありますけど、これくらいならやっていけるでしょう。

 

さて、今回は僕が今年どうするかというお話です。もっと正確に言うならなんで勉強しているのかを自分に言い聞かせる回です。いつもより自慰感が高いわけですね、はい。

 

僕が社会学を始めたのは10月からです。ある先輩が入口を教えてくださり、知的好奇心マシマシの僕は何も考えずに飛び込みました。

なんか以前も話した記憶がありますが、社会学は端的に言うと「人間の営みを紐解く学業」だと思ってます。常識ってなんなのだろうと考えていくものですよ。

いやあ!楽しいですね!!

めちゃくちゃ楽しいです。常に刺激を求めて生きてる人間なので、知らないことを知り得た瞬間が堪らなくいいですね!! やればやるほど楽しいです。自分の常識が広がっていくのと、既知の領域だった「常識」の正体を見破った瞬間がとても好きです。

ずっとそんなんだったら良かったんですけどね。

 

転換期はもう一つあったんですよ。それもその先輩ともう一人の先輩の先輩が影響してます。

資本主義の外側にも世界があるって知ってしまったんですよ。

一応断っときますが、別に社会主義の話をしてるわけじゃないんです。それ以外にも常識は存在してます。

ここで登場、僕が常々考えていた「豊かさ」についてです。

元々資本の堆積が豊かなことだとは考えていませんでしたが、余計不鮮明になってきました。

とりあえず始めたのが農村社会学です。昔の日本人は豊かだったのか、今とどう違うのか、どう変わったのか、見たいものは尽きません。こりゃあ困った。

人間が関わり合う存在だとするなら、豊かさのヒントもそこにあるかもしれません。なので、農村社会学の中でも「イエとムラ」について勉強し続けています。論理が飛躍してるかもしれませんが、許してください。僕の中では繋がっているんです。

 

で、「豊かさ」を定義づけることが危険であり、いけないことだとは分かっていながらも何となく思っていることがあります。

真理の扉ってこの世に存在してんじゃねえかな。

答えはどこかにあるはずなんですよ。人間って何なのか、豊かさって何なのか、社会って何なのか。

僕のこの脳内をうまく言語ができるほど、僕は賢い人間ではないんですけど、頑張ってみます。自己整理も兼ねたものですので。

「真理の扉」とはこのブログ中では、この社会の真相みたいなものを指します。僕もよく分かってないんで「みたいなもの」としときます。

そこには僕の見たくもないものが大量に詰まっているんですよね。今までこんな気持ち悪いものに生かされていたのだということを自覚してしまうと嫌悪感が止まらないんですよ。

お金という信頼の代弁者が人間同士をつなぎ止めているという事実が存在しているのが、僕が現代を嫌悪している理由の一つです。この点に関してはなんとでも言え。嫌悪している自分を嫌悪している状況で自分でも困ってます。

 

話を「真理の扉」に戻しましょう。答えがこの世に存在しているはずなんです。その存在を知らなきゃ僕はのほほんと生涯を終えることができたのでしょうけど、存在を知ったからには探求しないと気が済まないのが性分です。身近なことに対して理論付けできないと気持ち悪くなってたきちゃいまして、えへへ。

そんなわけで、たぶんそれはパンドラの箱のようなものなんでしょうけど、それを開けたいと思います。中を覗いていくのが当面の目標です。

もう一つ自分語りをしますと、僕は理想主義者なんですよね。

それは「異世界転生して俺TUEEEEしたい!」みたいなものではなくて、「この現実の中での理想を見つけたい!」というものなんです。

しかしそれを探すのが残り3年というのは短すぎる気がしてます。なんとかなりませんかね?

 

うん、段々と整理がついてきました。何を考えていて、何がしたいのかもわかってきました。まだまだ不鮮明ですけど、とりあえずはいいでしょう。

 

 

そんなわけで残り少ない後期のテストを低空飛行スレスレで乗り越えて、頑張っていきます。

 

さて、適当な回にお付き合いいただきありがとうございました。またいつかです。

 

【追記】

質問箱答えるの忘れてました。次回答えますごめんなさいごめんなさい。

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