バスの中の暇人
お久しぶりです。暇なのでブログ更新します。
書けるか不安で仕方ないですけど、まあ、書けるんじゃないですかね?
ちなみに僕は北海道シンオウ地方に帰ってきました。ダイパリメイクを早く出せ。
で、今回なにを書くかって話なんですが、帰りのバスで考えたことでも書いてみたいと思います。
まず、バスの解説からします。
みなさんは飛行機で北海道まで来たことありますか?
航空会社は「札幌行き」などと書きますが、実際に行くのは千歳市です。都留の人は「甲府行きの電車に乗ったら都留に連れていかれた」くらいに考えていいです。多方面から怒られそうな例えですね。
で、千歳から札幌までが、意外と遠いです。電車だろうがバスだろうが1時間以上は使いますね。
この時間がこれまた暇なんですよ。
飛行機の中では基本的に本を読んで過ごす僕ですが(今回は「アイヌ学入門」という名著)、あいにく僕はバスの中で活字や高純度ウォッカを体内に取り込むと、もれなく嘔吐するような人間なので残念ながら読めません。ちなみにアイヌ語で「ワッカ」は水の意を持ちますので、ウォッカは実質水です。
こんなことばかり言ってると、「今の教師の卵はサッパリ勉強しない」などと愚痴ってしまった担任に申し訳が立ちませんし、教育実習の受け入れに響きそうなので控えます。札幌第一高等学校万歳。日本の中心は札幌第一高等学校です。
つまり僕はバスに乗ったわけですが、中でする考えごととして思いついたものがあります。
「地域史」です。立てる仮説が独善的で、論理構成が無回転で、オマケに自称エース呼ばわりしていることから「地域史ゼミの本田圭佑」との異名を持つ僕は、フィールドからいかに地域が多様であり、歴史に富んでいるかを(マルクスに対抗するために)実証しなければいけません。
要は風景を見て懐かしみたいだけです。
そんなこんなで眺める千歳の光景、なかなかの田舎です(こなみかん)。まだまだ見ていきましょう。
酔った。
どうやら彼は乗り物に弱いようです。
仕方ないので考えごとしましょう。ちなみにケータイの充電が残り2%(ここ古手梨花)だったので、使うという選択肢は当時ありませんでした。
で、考えたのが「上級国民」です。早く俺もなりたい。
事件のことは書きません、面倒なので。
なんでこんなこと考えたのかって、空港の本屋で「実はあった!上級国民と下級国民!」みたいな本があって「なんじゃそりゃ」という感想を抱いたので、考えてました。ちょっと資本主義を勉強すりゃあそんなもんがあるのは明快なはずなんですけどね。上級、下級のワードはどうであれ。
そもそも「上級国民」は、とある偉い人が裁かれないから生まれたワードだったはずです(たぶん)。法治国家で法に則って裁かれないことってあるんですかね、だったら我々は明治時代からなんも進歩してなさそうですね。
論点がズレました。個人的に面白いのは「上級国民」という概念です。
生涯学習論である先生が日本のいいとこ(?)として言っていたのが「日本は階層構造がそこまで明確じゃない」ということです。例えばイギリスじゃあ労働者階級などが明確に区別されているみたいです。いくら自由や平等を謳っても彼らに階層の意識があるんですね。それに比べれば日本はそうでもない、みたいなことを言ってました。
ですが「上級国民」はそれをひっくり返します。「階層構造が明確じゃない日本」で、わざわざ我々はその線引きをしてるみたいです。
潜在的に存在しているものを可視化したいんですかね、抽象概念への限界を感じます。
言った通り僕は「上級」や「下級」の区別はあると思います。これはあくまで経済的な観点からだけですけど。
本質的に僕らもイギリスの民に近しいのかもしれないですが、これには決定的な違いがあります。
それは「彼らは自分の階級に誇りを持っている」ということです。「上級国民」というワードは僻みから生まれたとすれば、違いは明確ですかね。
なんでこうなったかは今適当に考えてみたんですけど、さっきから言ってるみたいに階層構造が明確じゃないからなんですかね? どこかで僕らは「自分は逆転できる」と思い込んでいるのかもしれません。だからギャンブルが流行るのかもね(ギャンブルについての詳細は「遊びの社会学」を読んでみてください)。
だから階層は明確で、自分に誇りを持って生きればいいんですかね。よくわからん。
最後に言い訳しますが、この文章は酒飲んで風呂でぬくぬくしながら書いたものなんで、あまり真に受けないでくれて結構です。まあいないでしょうけど。
それじゃあまたどこかで会いましょう。